生産者インタビュー
2026.06.19
「畳文化を支えるい草産業の継承と発展」
熊本県 ナカヤマノウジョウ
日本の伝統文化として長く親しまれてきた畳。い草の香りややわらかな感触に、心が落ち着くという方も多いのではないでしょうか。
その歴史は古く、奈良時代から平安時代に原型が登場し、時代とともに日本人の暮らしに根付いてきました。和室が減りつつある現代でも、畳には多くの人をホッとさせる魅力があります。
そんな畳文化を支える「い草」は、今どのような状況にあるのでしょうか。今回は、い草農家の中山さんを訪ね、い草農家の現状や今後の展望、そして若い世代へ伝えたい思いについてお話を伺いました。

①い草づくり編
一本のい草に込める職人のこだわり
「野菜みたいに実がなって終わりじゃないんです。一本をどれだけきれいに育てられるかなんですよ」
そう語る中山さん。
畳表になるい草には、およそ160センチほどの長さが求められるといいます。
しかし、自然が相手の仕事だけに、毎年同じようには育たず、春先の日照や雨量、梅雨の降り方など、天候が出来栄えを大きく左右します。
また、収穫されたい草は、そのまま畳表になるわけでもなく、長さごとに細かく選別され、一番長く美しい部分から順に畳表へと加工されていきます。
「植物なので一本一本違います。だから最後は人の目で見て選ぶしかないんです」
機械だけではできない仕上げを、人の手と経験が支えています。

収穫期には朝4時から作業が始まる。
収穫したい草は発酵しやすく、放置すると品質が落ちてしまうため、井戸水で冷やし、その日のうちに泥染めと乾燥まで行うといいます。
「毎日同じルーティンの繰り返しです。でもその積み重ねが品質につながるんですよ」
い草づくりは、自然と向き合い続ける地道な仕事だったことをうかがい知ることができました。
②畳文化と八代の歴史編
日本の畳文化を支えてきた八代
かつて八代では、見渡す限りの田んぼが、い草畑でした。
「1980年代は、近所の農家さんもみんなイグサ農家でした」
最盛期には八代市だけで約6000軒のい草農家があったといいます。
畳需要の高まりとともに発展し、い草は「緑のダイヤ」と呼ばれるほど地域経済を支えていました。
大量生産のために機械化を推し進めるものの、それでも間に合わず需要を確保するため中国産のい草が流入により国産い草の価格は当時の半分以下にまで下落。
時代の潮目はかわってしまい、機械化のために多額の投資をしていた農家ほど打撃は大きく、経営の継続を断念する人も少なくなかったといいます。
中国産との価格競争に加え、住宅の洋風化による和室の減少も重なり、需要はさらに減少していきました。
現在は、八代のい草農家は約200軒まで減少し、今でも毎年30~40軒ずつ辞めていく現状。
それでも八代は日本最大の国産い草産地であり、日本の畳文化を支える中心地であり続けています。

「日本といえば畳。外国の方もそういうイメージを持っていますよね」
中山さんはそう語ります。
畳は単なる床材ではなく、古くから日本人の暮らしに寄り添い、人々が集い、語らい、くつろぐ空間を支えてきた存在です。
また、茶道や華道、書道といった日本文化の多くは畳の上で育まれてきました。畳があったからこそ生まれ、受け継がれてきた所作や礼儀、空間の使い方も少なくないのです。
「道」の付く日本文化の多くに畳が関わっている――。
そう考えると、畳は単なる建材ではなく、日本人の文化や精神性を支えてきた土台ともいえるのではないでしょうか。
③未来への挑戦編
畳を知らない世代へ届けるために
「畳は知っていても、イグサを知らない人が本当に多いんです」
そう感じたのは、SNS発信やイベントへの出展を始めてからでした。
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実際に中山さんは、
「畳屋さんが畳表まで作っていると思っていた」
という声を数多く聞いたといいます。
そこで始めたのがSNSでの発信や、新しい商品の開発。
取材当日も、持ち運びできる「neGOZA」を見せていただきました。
鮮やかなデザインのケースに収められたござは、従来の畳のイメージとは大きく異なりました。
「公園に持って行ったり、フローリングに一枚だけ敷いたり。そんな使い方をしてもらえたら」
若い世代の暮らしに合わせた提案を続けています。
また、い草を使ったアートやインテリア、アクセサリーなども増えているといいます。
「まずはイグサに興味を持ってもらうこと。それが畳につながればうれしいですね」
伝統を守るために、あえて新しい入口からの切り口作り。それもまた挑戦のひとつといえよう。
本物の畳文化を次の世代へ
中山さんは四代目のい草農家です。
奥様のご両親と力を合わせながら、代々受け継がれてきた家業を守り続けています。その姿には、伝統を次の世代へつないでいこうとする強い思いが感じられます。
しかし、その現場を取り巻く現実は厳しさを増す一方です。
農家の減少はもちろんのこと、それに連鎖するように、これまで畳づくりを支えてきた機械メーカーの撤退も始まっています。
「農家が減ると、機械を作る会社も成り立たなくなるんです」
その言葉は、単なる危機感ではなく、すでに足元で起きている変化の重さをそのまま伝えていました。
機械そのものだけでなく、部品一つ手に入れることさえ難しくなりつつある。続けたいという意思とは別のところで、“続けられない理由”が静かに積み重なっているのです。
後継者不足。収益性の低下。設備維持の困難さ。
課題はひとつではなく、複雑に絡み合いながら現場を圧迫しています。
それでも中山さんが畳づくりを続ける理由は、驚くほど明確でした。
「本物のイグサの畳を残したいんです」

プラスチック素材や海外産のい草が広がる中で、日本の土で育ち、日本の手で織られた畳には、数字では測れない価値があるといいます。
かつて“畳はすぐにささくれるもの”というイメージを持つ人も少なくありません。しかしそれは、品質の低い製品に触れた一部の経験にすぎないのだと、中山さんは静かに語ります。
「知らないことが一番の問題だと思うんです」
だからこそ、伝える。だからこそ、発信する。
畳という文化の本当の姿を、もう一度知ってもらうために。
その言葉の先には、単なる産業の維持ではなく、“文化を手渡す”という意思がありました。
八代のい草農家が守ろうとしているのは、畳文化を通して、その向こう側にある暮らしに根付いた日本の心なのかもしれません。
ナカヤマノウジョウさんを訪ね、受け継がれてきたものを守り、次の世代へ手渡していく姿勢こそが、伝統文化を支える力なのだと感じました。取材の中で聞いた「将来、お父さんの仕事を引き継ぎたいと言ってくれているんです」というお子さんの言葉は、その何よりの証しです。伝統とは過去のものではなく、人の思いによって未来へつながっていくもの。い草づくりの現場には、その大切な営みが確かに息づいていました。作業見学も問い合わせ次第で可能とのことですので、興味を持たれた方はぜひ足を運んでみてください。

